頭の屁

頭だっておならをします。脳のおならを集めてみました。

完璧な五輪

ここ一週間ほどのネットを見てて思いついたネタ。

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もうさ、パラリンピックは「(医用)科学の最先端を競う場」にしちゃって良くないか?*1

自動車レースだって「モータースポーツ」って呼んでるじゃんか。よく知らないが、F1とか現代科学の粋を集めてるんでしょ? 開発費含めればとんでもない金額になってるわけでしょ?

モータースポーツ」はOKで「障害者スポーツ」が駄目な理由ないでしょう。

 

パラリンピックをそういう場にすれば、

 

メーカーは宣伝になる → たくさん売れる →さらに高度な障害者補助具が生まれる

 

で、障害者、メーカーともに良いことばかりじゃない?

 

「そんなのはけしからん! スポーツは公平な条件で身体を鍛えて~」とか言う人いると思うが、それにそういうのが観たい人向けにはオリンピックがあるでしょうが。

一般観客・視聴者的には「最新の義足スゲー!」「視覚障害者がクレー射撃って、どういうメカ使ってるんだよ!?」と盛り上がりこそすれ、萎える人いるか?

 

科学は人間と対立するのか?

……萎える人、いるでしょうね~。

ロシアのドーピング問題があれだけ話題になったんだもの(ウヤムヤ)。ツール・ド・フランスなんてドーピング問題で「優勝者なし」記録が何年も続いてる有様

 

でもこのへん、個人的には矛盾を感じるんですよ。

難病でクスリを飲み続けないと行きていけない、いわばクスリに生かされている。そういう人のことをドーピングっていうか?

でも一方で、同様に現代科学の所産である薬物を用いたスポーツドーピングは非難される。ドーピングで勝てるならみんな使えばいいじゃん。そうすれば公平じゃん?

安全性? みんなが使うようになったら「私は●●製薬の開発した✕✕というクスリでドーピングしてます」と公表すればいい。それで問題が生じたらメーカーにとっては大問題でしょう。気合入れて安全性確保するよ。むしろ今みたいに陰で使ってるほうが危険。何が入ってるかわかったもんじゃない。

 

要するに、「科学で(病人等が)一般人と同水準になるのはOK。一般人を超えるのは駄目」という空気があるんじゃないでしょうか? 倫理観というか。

別の例えを引けば、美容整形ってちょっと忌避されてるじゃないですか? でもそれが怪我や火傷の痕跡を消すためなら許される。やってることは同じですよ? これも前述の倫理観で説明がつく。

 

話が飛躍するようですが、最近話題のセクサロイド、要するに性的サービスを行うロボットですね。これの開発が進んでると仄聞しました。これにも批判の声があるようですね。

男性用にせよ女性用にせよ、現在でも自慰用具(穏当表現)はたくさん売ってます。それらに対する批判も聞いたことがない。せいぜいが「恥ずかしい」というレベルです。

セクサロイドって乱暴に言えばそれらの上位バージョンじゃないですか。何を批判する要素があるの。

セクサロイドとの性交で若い人は人格形成が阻害される可能性がある」って、生身の異性としても同じこと言えるんじゃないですか?

これも私に言わせれば「科学で人工物が人間と同水準(以上)になるのは許せない」という倫理観が根底にあるように思います。現代のラッダイト運動とでも申しましょうか。えげつないことを申せば「(恋愛に)努力してない人が(性的)快楽を得るのは間違っている」的意識。え? うがちすぎ? そうですか。

 

まぁそれ言い始めたら人工知能はどうなるの? という話もありますが、アレは事あるごとに有用性を喧伝し、事実有用であるから受け入れられた部分もあると思いますよ。だからパラリンピックもそういう場に、と。

まとめ

障害者スポーツ・ドーピング・美容整形・セクサロイドと議論が散漫になってしまいました。本稿の主旨をまとめましょう。

 

  1. 誰であれ科学を用いれば今よりも自身の能力を引き上げることができる。快適な生活も可能となりうる。
  2. にも関わらず、とりわけ人間の身体・精神に影響を及ぼしかねない技術に対しては何らかの忌避感がある。マイナスをゼロにするのは医療として許されるが、一般人レベル(以上)になるのは駄目、といったふうな。

 

1について異論を挟む人はいないでしょう。江戸時代に比べ、石器時代に比べて人類の生活は飛躍的に便利かつ快適になりました。クルマにせよエアコンにせよ、多くは科学技術の発展によるものです。

でありながら、人間の身体・精神そのものに関する科学技術には過剰なほど怯える(2ね)。スーパーマンもアンドロイドも望んではいない。

これはとどのつまり、科学技術そのものを根底では恐れているということではないでしょうか?

この「恐れ」を笑うことは容易い。だが個々人の感情を理性的でないと上から目線で押さえつけるのも違うように思います。

この矛盾を解決していく方策が、たぶん今求められていることだと考えます。

 

まぁとりあえず、日本一有名な障害者であるところの乙武洋匡氏が思考戦車にご自身の人格を移植して、たぶんいろいろ苛ついてるでしょうからゴジラのように日本中を蹂躙する姿を拝見したく存じます。終わり。

 

〈参考〉

www.nikkansports.com

www.itmedia.co.jp

www.asahi.com

*1:昨年の創元SF短編集にそういう感じのが投稿されたみたい(中身読めないので違うかも)

「キュレーション2.0」はまだか

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「キュレーションサイト」というものがある。

流行の旬は過ぎてしまったようだが、NAVERまとめやGunosy、nanapiだのRETRIPだの、キュレーションを名乗るサイトはまだまだ多い。
あ、はてなブックマークもそうかな?
2ちゃんねるまとめブログも、ある意味でこれに入るかもしれない。

 

確かに現代のネットでは流通している情報の量が多すぎる。
それらはまさに玉石混交と言おうか、現代のネットユーザーは浜の真砂のように膨大などうでもいい情報から有益な情報を探し当てねばならない。
とは言え人間の情報処理能力は有限である。一説によると現代人が一日に接する情報は、中世ヨーロッパ貴族のそれを超えるとか。とても一般人の手に負える量ではない。
人生は短い。

 

そうした現状では「他の誰かが有益な情報を選んでくれるサービス」というのはいかにも魅力的である。ネット起業が参入するのも理解できる。

 

だが自分に照らして申し上げれば、既存のキュレーションサイトはあまり使いものにならない。自分にとって益のない情報もノイズとして混ざりこんでいる。ノイズとは言えPV稼ぎに目を惹くタイトルをつけているものだから始末が悪い。
一方で本当にほしい情報は運ばれてこない。結果として無駄な閲覧時間を浪費し、何のためのキュレーションかとため息をつく次第である。
あなたはそうではないか?

 

そろそろ「キュレーション」も次のステージに上る段階だと思うのである。これを「キュレーション2.0」と呼ぼう。

 

鍵を握るのはたぶん、Googleだ。
ご存知のようにGoogleは現在でも検索履歴や位置情報を参照してユーザーの端末に広告を表示している。検索結果も変わる。
だがそれは、●●というカメラを検索したらそればかりが広告枠に出てくるとか、居住地近くの分譲マンションが紹介されるとか、お世辞にも有益とは言いがたい。

 

極端な話、私はGoogleにもっとプライバシーを知られてもよい。
生年、出身地、学歴、専攻科目、勤務先、年収、家族構成、何でも聞いて欲しい。

 

一例を挙げる。例えば私がこれまで読んできた本とその評価を全てGoogleに伝えたとする。
「エルマーの冒険」から池波正太郎フォン・ノイマンまで、覚えている全てを入力し、それぞれをレーティングする。
そうすればきっと、「あなたが読むべき本」をGoogleは教えてくれるだろう。
「購読すべき書評系サイト」も教えてくれるかもしれない。

 

収入と買い物・支払いをGoogleに伝えれば、家計管理だとかより良い買い物、保険の見直しプランも教えてくれるに違いない。

 

「仲良くなれる可能性の高い人」のTwitterアカウントも知らせてくれるかもしれない。

 

そしてそれらをGoogle経由で購入する。その手数料で不足なら、年収の1%くらいは払っても良い。

 

私を苛つかせる情報、無益な情報は目の前から消え失せ、自分でも気づかなかったニーズに応えてくれるようになるだろう。素晴らしいじゃないか。

 

もちろん、そうしたプライバシーの切り売りを嫌悪する人もいよう。
だがあなたのプライベートはそれほど価値のあるものなのか?
精度の高い有益な情報を得るの対価として相応とは思えないのか?
そうした人はもちろん、キュレーション2.0に加入しなくても良い。選択の自由は許される。

 

利便を追求する現代社会において、キュレーション2.0を待ち望む人は決して少なくないはずだ。